2024-08-05 マコンドの市と見世物小屋
朝からカチューシャは階下から私を呼び続ける。なんだか声が近いなと思ったら、外からうちの寝室に一番近い塀の上にひょっと座ってこちらをずっと見ていた。もしかしたらこの間の雷の夜もそこから鳴いていたのかな?
最初の途切れ目まで読んで、胸の中をかけめぐっていったことをもう一度味わう。すでにここまでで多くの世界が息づいていて、今日はこれで満足かもしれない。
多分前回も同じことを思い出したのだけれど、そういえば私が子どもの頃のお祭りに蛇女とかろくろくびを見られる小屋が立ったことがあった。いくらなんでも時代錯誤の、いま思い出すとまるで幻みたいな話だけれどまわりにも同じ体験をした友人がいるのでぎりぎりそういうものが残っていた時代だったのだろう。当然父に見たいとせがんだが、こういうものを面白がって見るのはやめようと見せてはもらえなかった。あのお祭りはいったいどこに立ったものだったのだろう。行き慣れた公園のどことも違っていた気がするが、そう遠くに行ったはずもないのだった。木の立ち並んだ湿った道の縁に柵があって、その柵までじめじめしていたのを覚えている。見世物小屋の看板の絵は半分怖く、半分とぼけていた。
マコンドで起こることは悲劇的だったり衝撃的だったりしてもなにかもののことわりの中にあって、悲しんだり恨んだりした人もまたいずれその肉体は時間の中で風化し、物語だけが生き残るのだった。
それにしても、「煮えくり返ってる」って!アウレリャノの表現力もすごいけれど「にえくりかえってる」という言葉、音を当てた訳者さんもすごい。